以前の記事で、異動の命令は基本的に断れないということを書きました。
その中で、異動の必要性があったとしても、労働者が通常受け入れられる程度を著しく超える不利益を負う場合には権利の乱用となる可能性がある、という話をしました。
実はここが異動を断れるかどうかの肝で、実際によく裁判になるポイントでもあるので、今回は少し詳しく紹介しようと思います。
親の介護など異動ができない理由があるにも関わらず、異動を命令されたら大変ですよね。
薬剤師でも実際に起こり得ることですので、ぜひ読んでみてください。
なお今回は、異動の中でもトラブルになりやすい転勤に絞って話をしていきます。
転勤による社員の不利益
転勤は、社員やその家族にの生活に大きな影響を与えます。
親の転勤によって先行せざるを得なかった子供は、転校先でいじめを受けるかもしれません。
受験期の子供がいる家庭では、社員が単身赴任を選択することもあります。
またそもそも最近では夫婦共働きが一般的であり、遠方への転勤はさまざまな弊害を生みだします。
こういった事情もあり、会社と労働者の契約に関するルールを定めた労働契約法では、会社と社員は仕事と生活の調和にも配慮しつつ契約を締結し、又は変更すべきとしています。
労働契約法3条第3項
労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。
転勤命令の有効性
以前の記事でも書いたように、就業規則や労働契約に転勤条項があり、勤務地を限定するような個別合意等がなければ、基本的には会社は転勤を命じる権利があるとされています。
しかし、その転勤命令に
- 不当な動機・目的がある場合
- 社員が通常受け入れられる程度を著しく超える不利益を負う場合
には権利の濫用とされ、転勤命令が無効となります。
労働契約法3条5項
労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない。
では、
- 通常受け入れられる程度
- 著しく超える
とは、どのような基準によるのでしょうか。
実はこれらの基準は明確ではなく、すべて裁判所にゆだねられます。
ですので、次は転勤を有効とした裁判、無効とした裁判をそれぞれ見ていきます。
転勤を有効とした裁判
転勤を有効とした裁判には、
- 東亜ペイント事件(最二小判昭和61年7月14日)
- 帝国臓器製薬事件(東京高判平成8年5月29日)
- ケンウッド事件(最三小判平成12年1月28日)
などがあります。
それぞれの事件の解説を読んでもらえれば分かりますが、裁判所は社員に対し、「通常受け入れるべき程度を著しく超える不利益」が生じていると簡単には認めない傾向にあります。
東亜ペイント事件(最二小判昭和61年7月14日)
大阪(堺市)で共働きの妻と母、子供と一緒に住んでいた社員が、神戸営業所から名古屋営業所への転勤を拒否したケースです。
この転勤がこの社員に与える家庭生活上の不利益は、転勤にともない通常受け入れる程度のものだと判断されました。
また、
- 就業規則や労働契約に転勤条項があること
- 勤務地を限定するような個別合意等がないこと
- 転勤の必要性があること
- 不当な動機・目的がないこと
- 通常受け入れられる程度を著しく超える不利益を負わないこと
といった転勤命令の有効性の判断枠組みを作ったのがこの判例になります。
帝国臓器製薬事件(東京高判平成8年5月29日)
夫婦がともに同じ会社で働いていたところ、夫にだけ東京営業所から名古屋営業所への転勤が命じられたケースです。
転居をともなう転勤については社員に経済的・社会的・精神的不利益を負わせるものなので、転勤を命じる際には、会社は社員のこうした不利益を軽減、回避するために社会通念上求められる措置をとるよう配慮すべき義務があります。
このケースでは、会社が家庭用住宅や単身赴任用住宅を提供したり、先例にない別居手当を支給するなどの措置をしたりして、こうした配慮はなされているため、転勤命令の不利益は通常受け入れるべき程度を著しく超えるものではないと判断されました。
ケンウッド事件(最三小判平成12年1月28日)
共働き夫婦の妻を転勤させて、3歳の子供の保育の負担に支障が生じたというケースです。
この判例でも、社員の不利益は通常受け入れるべき程度を著しく超えるとまではいえないとして、転勤を有効としました。
転勤を無効とした裁判
転勤を有効とした裁判を見てもらえると分かるように、特に育児に関する不利益について、裁判所はあまり認めてくれません。
一方で病気や通院等については裁判所も不利益を認める傾向にあり、転勤を無効とした裁判もあります。
- 北海道コカ・コーラボトリング事件(札幌地判平成9年7月23日)
- フットワークエクスプレス事件(大津地判平成10年11月17日)
- ネスレジャパンホールディング事件(神戸地姫路支判平成15年11月14日)
北海道コカ・コーラボトリング事件(札幌地判平成9年7月23日)
長女が躁うつ病、次女が精神運動発達遅延の状況にあり、かつ両親の体調不良のため本人が家業の農業の面倒をみているという家庭状況にあったケースです。
会社は転勤を避けることが十分可能であり、転勤対象者の人選を誤ったといわざるをえず、社員に対し通常受け入れるべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとして、転勤を無効としました。
フットワークエクスプレス事件(大津地判平成10年11月17日)
妻が過去にくも膜下出血で倒れたことがあり、現在も定期的に通院しており、同居する実弟は知的障害者で収入がない社員に対し、大津から和歌山市内への転勤を命令したケースです。
このケースでも不利益が通常受け入れるべき程度を著しく超えるという判断に加え、
- 和歌山市内での業務が誰でも可能な業務であること
- 和歌山市内への転勤後に大津の事業所にて新しく社員を採用していること
なども考慮し、転勤を無効としました。
ネスレジャパンホールディング事件(神戸地姫路支判平成15年11月14日)
妻が精神疾患に罹患して通院加療中であり、実母は78歳と高齢、長女は高校3年生、次女は中学3年生でありいずれも受験を間近に控えている社員に対して転勤を命令したケースです。
このケースでも、「転勤すれば家族の治療や介護が困難となり、症状が悪化する可能性がある。不利益は大きく権利の濫用にあたる」として転勤を無効としました。
育児介護休業法26条
このように育児や介護に関する不利益は裁判で認められにくかったものの、現在では育児介護休業法12条において
(労働者の配置に関する配慮)
第26条 事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。
と定めています。
そして実際にこの規定を重視して転勤命令を権利濫用と判断した裁判例もあります。
- 明治図書出版事件(東京地判平成14年12月27日)
- NTT西日本事件(大阪高判平成21年1月15日)
今後は同様の判断をする裁判が増えていくのではないでしょうか。
まとめ
以上、今回は、転勤の権利濫用について判例・裁判例を挙げながら紹介しました。
長く転勤が会社の権利として認められてきたわけですが、育児介護休業法の規定などもあり、今後は転勤命令が権利濫用と判断される機会も増えるでしょう。
また大前提として、終身雇用などの日本型雇用システムにより解雇が簡単にはできない裏返しとして、会社には転勤命令などの裁量が広く認められてきたという歴史があります。
終身雇用も保障できないのに転勤は好き放題できてしまうのであれば、それは会社にとって無視が良すぎる話です。
今後は、転勤ありきの会社運営は成り立たなくなっていくのではないかと考えています。