日本社会においては、全国転勤など従業員の異動により会社が発展してきた背景があります。
事実、日本の法律では適法な転勤命令を拒否した場合、解雇が有効となることがあります。
しかし近年では従業員の考え方も変わり、転勤を拒否する従業員が増えています。
会社もそういった変化にあわせ、地域限定職など異動のない契約での採用をすすめているところです。
全国チェーンの薬局でも同様の採用はすすんでおり、今回のような事件はとても参考になるため紹介します。
ビジネスパートナー事件の概要
今回の事件の会社では、
- 総合職:転勤可
- 地域限定職:転勤不可
のように転勤可能な社員と転勤不可能な社員に分け、給与にも差をつけていました。
ところが令和2年2月28日、会社が総合職の従業員に対し転勤を命じたところ、従業員が同居の両親の介護を理由にこれを拒否しました。(論点①)
そこで会社は令和2年3月頃、規定に基づき、従業員に対し半年分の差額である12万円の返金を請求しました。(論点②)
また会社は令和2年3月1日より、規定に基づき従業員を地域限定職に変更し、同月分の給与から基本給を地域限定職と同じレベルまで減給しました。(論点③)
これに対し従業員は、
- 転勤命令が権利の濫用として無効である旨(論点①)
- 規定が労働基準法第24条1項の「賃金全額払いの原則」に反するため無効である旨(論点②)
- 規定が合理性を欠き労働契約の内容に含まれない旨(論点③)
を主張して差額の返還を拒否したため、会社が提訴しました。
ビジネスパートナー事件の判決
まず今回の事件で問題となっている規定は、以下のようなものです。
総合職の従業員が会社命令の転勤を拒んだ場合、半年を遡って地域限定職との給与の差額を返還し、翌月1日より新たな職群に変更するものとする
ちなみに、ほぼ全く同じ規定を運用している全国チェーンの薬局を知っているため、特に異動の多い全国チェーンでは割と辿り着きやすい規定なのかなと思います。
そのうえで、3つの論点について見ていきます。
論点①:転勤命令が権利濫用であるか
裁判所は本件の転勤命令について、権利濫用に該当せず有効と判断しました。
転勤命令の権利濫用法理については
- 転勤命令の業務上の必要性がない
- 転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたもの
- 労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるもの
などに該当しなければ、その転勤命令は権利濫用にならないとされています。
その中で業務上の必要性については、
- 労働力の適正配置
- 業務の能率増進
- 労働者の能力開発
- 勤務意欲の高揚
- 業務運営の円滑化
などといった会社の合理的運営に必要な点が認められる場合には業務上の必要性も認められるとされています。
こういった転勤命令の権利濫用法理ふまえたうえで、今回の事件で裁判所は、
- 人員の適正配置の観点
- 金融業という業種
- 不正の防止
- ゼネラリスト育成
- 現に後任の必要が生じていた
- 従業員である被告の経験等
などの理由により、業務上の必要性および人員選択の合理性(不当な動機・目的がないこと)に問題はないとしました。
また当該従業員の不利益についても、転勤の可能性のある総合職を選択していたのであるから、同居の両親の介護の必要性を考慮したとしても通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を課すものとは認められないと判断しました。
以上のことから、裁判所は本件転勤命令について、権利濫用とはならないとしました。
論点②:賃金全額払いの原則に違反するか
裁判所はまず、賃金全額払いの原則の趣旨を、
「使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図るものであること」
としたうえで、今回の規定が、
- 転勤を拒否した場合に地域限定社員との差額を半年分に限り返還させるものであること
- 差額が月額2万円にとどまること
- 従業員が適時に申請することで総合職や地域限定総合職といった職群を変更することが可能であること
このようなことを踏まえると、本件の規定が労働者に過度の負担を強い、その経済生活を脅かす内容とまではいえず、賃金全額払いの原則の趣旨に反するとまではいえないとし、労働基準法24条1項には違反しないとしました。
論点③:規定に合理性はあるか
本件の規定について裁判所は、
- 従業員が職群を自由に選択することができるメリットがある
- 返還額がそれほど多いものでもなく労働者に過度の負担を強いない
このようなことを踏まえ、本件の規定は合理的な内容であるといえ、労働契約の内容の一部となる(労働契約法7条)としました。
労働契約法7条
労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の内容と異なる労働条件を合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。
まとめ
以上が、今回のビジネスパートナー事件の概要と判決になります。
今回の判決では、転勤を拒否した者に対して自動で地域限定職に転換し、地域限定職との差額を返還させるような規定が有効であるとの判断がされました。
しかしこの判決に関しては、割と否定的な意見が多いです。
というのも、転勤命令の権利濫用については納得できるものの、半年分の差額返還はさすがに厳しく、労働基準法16条(違約金・賠償予定の禁止)に違反する可能性もあるからです。
また自動で地域限定職に転換というのも違和感を感じます。
さらに、もし転勤が難しくなったのが1か月前だった場合、それでも転勤を拒否すると半年分を返還する必要があるのかという問題もあります。もしこのような状況であれば、規定の合理性は否定されたような気がします。
とはいえ今回の事件はあくまで東京地裁での判決であり、労働基準法16条については争っていないようですので、今後も同様の事件が起これば、また違った判断になる可能性はあると思います。